うちのイケメン

イスラム教徒です。アラブ人夫との日常をなんとなく書いているブログです。

ヒジャーブをするとかしないとか

 Alsalaam Alaikum

 

 アルサラムアライクムとはアラビア語の挨拶であなたに平安が訪れますようにという意味です。

 

このブログに訪れて下さるあなた様に心からの平安が訪れますようにお祈りします。

 

初めてのかたは

iamamuslima.hatenadiary.jp

こちらから見ていただくとこのブログの趣旨がわかりやすいと思います。

 

このブログを見つけて下さりありがとうございます。

 

 

イスラム教の女性は基本的にスカーフを頭に巻いたり、スカーフのような物をかぶったりしています。

 

それは世界共通でヒジャーブと呼ばれています。

意味はアラビア語で「覆う」という意味なのだとか。

 

ヒジャーブでなくても、実は色んな種類の名前があって、

ヒマールとかマグナエとか

それらは国や宗派によってもスタイルが様々で

 

ターバンや帽子みたいなもの、

ベールのように羽織るものや、

すっぽり目以外の顔まで隠してしまうものもあります。

 

イスラム教でなくても、

キリスト教のシスターもベールで髪を隠して肌を見せない服装です。

 

インドのクリスチャンの女性の一部のグループでも

シャルワカミーズだったかな?民族衣装を着て

その上からベールで身体を隠しています。

 

ユダヤ教も一部のグループでは

イスラム教と見間違うような全身を黒いベールで隠してる女性たちもいます。

 

宗教的なその身体を隠すという行為は

女性の部分を強調しない、最近流行りのモデストファッションなのでしょう。

 

また地域的に女性を守るための術でもあると思います。

 

一般的に日本など元々がイスラム教でない国では

ヒジャーブは宗教的義務ではないと教えているようです。

 

嫁がモスクやアラブイスラム学院内で行われ、

出たセミナーでも、そう教えていた先生は数人いました。

みんな日本人の先生でした。

 

イスラム教発祥の地、

アラブ諸国ではイスラム教が降りる以前から

女性は顔と手以外は隠す文化であったため、ヒジャーブは中東の民族的な象徴であると言う人もいました。

 

 

イスラム教の根本的な教義は唯一の神、

アッラーを信仰し、アッラーが最後の預言者モハンマド様(彼に平安あれ!)を

通して地上に降ろされたメッセージ、コーランに書かれていることに従いなさいというのが基本です。

 

そのコーラン

 

女性は顔と手、以外は出してはいけませんよと書かれています。

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とか

 

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など

 

コーランにしなさいよと書かれていますから、

女性のイスラム教徒はヒジャーブをしなさいよ。

 

露出を顔と手以外は隠しなさいよということなのだと理解します。

 

 

お嫁ちゃんはイスラム教徒になる前、

 

どちらかと言いますと露出高めの普段着を着ておりました。

 

 

ビスチェに短パンとか、ビキニタンクトップにランニングショーツ、穴あきスキニージーンズで夏は裸足にビーサン

 

冬はそのような露出系の服に毛皮羽織ってブーツでした。

 

そんなでしたが

 

イスラム教に改宗して、一年中長袖で長衣を着てスカーフを巻いて顔と手以外、本当に出さなくなりました。

 

夏ですら靴下履いてサンダル履くようになりました。

 

 

それは宗教で決められているからとか、誰のためとかではなくて、自分の信仰の行為の1つ、1つの行いとして始めたことでした。

 

お嫁ちゃんはイスラム教に出会う前から神様について学んでいました。

そして神様が大好きでした。

 

大好きな神様がした方がいい、しなさいよと命ぜられたならしよう。

そう思ってやり始めたことでした。

 

お嫁ちゃんは誰にでも愛想よく

前途したような服装、つまり見た目がチャラかったものですから、

イスラム教になる以前はよく酔っ払いにナンパされたり

外国人に追いかけられたりしていました。

 

しかし、そのスカーフを巻いて長衣を纏うようになったら

 

だーれにも、全く声をかけられなくなりました。

 

目も合わせてもらえなくなりました。苦笑

 

電車でも外国人男性は殆ど近くに来なくなりましたよ。

 

 

 

このような服装となり何か見えない力に護られてるような感じがしています。

 

またそうやって、毎回スカーフを頭に巻くときには自分のアイデンティティというのかしら

お嫁ちゃんがムスリムであると皆に証明している気持ちにもなるのです。

 

先日、ニュージーランドイスラム教嫌いな人が

大勢のイスラム教徒を無差別で殺したテロ事件がありました。

その翌日、日本でもモスクの前でインドネシアムスリムが日本人に暴行を受けました。

 

同日、オーストラリアのモスクでヒジャーブをした

妊婦のムスリムがオーストラリア人に襲われた事件がありました。

 

「その頃に友達からスカーフして歩くの危なくない?」

 

そう聞かれて確かに

「私、イスラム教ですよー」ていうアイデンティティを出してますから

ターゲットにされるかもしれないということも否めないと気がつました。

 

でも

 

神様大好き!と表現して何かされるならそれも仕方ない

それで死ねたらお嫁ちゃんの現世の修行終わり!ということでいいんじゃない?て

 そんな気持ちです。

 

なので嫁は何があってもこの先、ヒジャーブをしていくと思います。

 

ヒジャーブしないイスラム教の人に対してはどうなの?てとこですが

それはその人と神様の関係なので

あたくしの知ったことではありません。

 

 

ヒジャーブしているから信仰心強いとかは

はっきり申し上げてありません!

 

ヒジャーブしてなくても神様への信仰心の深い人、たくさんいます。

 

ヒジャーブをファッションでしているイスラム教でない人もいますし

 

信仰心でなく、なんとなくしてる人もたくさんいるのではないかな。

 

イスラム教徒でなくても

ビジネスでスカーフしている人もいます。

 

 

世界人口の三人に1人がイスラム教ですからね、それこそ色んな人が居るでしょう。

 

 

でもね、大事なのはその人と神様の関係です。

 

自分の人生は自分が責任あることで、

人それぞれ事情も違うものです。

 

他人がジャッジしたり干渉するところではないのです。

 

神様は寛容ですから、

やってと仰られたことに対して私ら僕ができることをしたら

沢山ご褒美を下さることでしょう。

また

出来ないことがあっても心のうちでの想いを知りお許して下さるでしょう。

 

 

イスラム教の良いところは出来なかったことがあったら、他でやったら良いといい

 

例えば病気とか都合で断食月に断食が出来なかったら、その分は寄付をしたり貧しい人を助けることで断食したと同じだけのご褒美がいただけるとか

 

来年の断食月までに元気なときに断食やれば良いよとか

 

寄付をする義務があるけれどその寄付というのはお金だけでなく、労働して他を助けるとかでも良いのです。

 

全てにおいて寛容なのです。

 

それでも、出来なかった人を責めたり

やってない人を陰口言ったりする人はいます。

 

イスラム教だからみんなが人格者ではありません。

 

でもね、アッラーはそれもご存知で

その出来なかった人の陰口を言ったらその人の罪をそのまま受け継ぐという教えもあるのです。

 

だからね、基本は他人の信仰や生活を干渉しないしジャッジしないんです。

 

親とか家族ならやらないといけないことは絶対、教えないといけないそうですが

反面

強制はしてはいけないという教えもあって

コーランにこうやって書いてあるよ。アッラーはこうしなさいて教えてるよ。」と

話して、子供たちがそれを受け入れるか否か親は子供の立場で理解しないといけません。

 

無理矢理やらせてはいけないのです。

 

確かに教えることとやらせることは違いますからね。

 

 

長くなりましたが、イスラム教てヒジャーブについては

本当に表面の一層でしかなくて

もっと深く素晴らしいことを教えている宗教です。

 

それが多くの人たちに伝わりますよう、インシャアッラー願うものです。

 

最後までお読みくださりありがとうございました😊